安田春雄やすだ はるお

安田春雄(やすだはるお)さんは、「ガッツ安田」という愛称で、数々のビッグトーナメントをプレーオフ(延長戦)や逆転劇で優勝し、ゴルフファンを魅了しました。
ところが、60歳になった2005年(平成17年)に肺がん(ステージ4)が発覚。
余命1年と宣告されたものの、手術や抗がん剤、放射線治療に耐えて克服し、2010年(平成22年)には、67歳にして、スターツシニアゴルフトーナメント(スーパーシニア)で優勝を果たしたのです。国内15勝、海外3勝、シニア4勝という輝かしい成績を保持。「アイアンショットの名手」と呼ばれた、安田春雄さんの素晴らしい軌跡をご紹介します。
安田春雄
さんの主な戦績
安田春雄 /
プロゴルフツアーの軌跡
1968年(昭和43年)・25歳
1969年(昭和44年)・26歳
1969年の「関東プロゴルフ選手権」で優勝したあと、海外のトーナメントである「フィリピンオープン」で日本人初優勝を果たします。日本プロスポーツ大賞・新人賞にも選出されるなど大活躍。
また、河野高明(こうのたかあき)さんと共に、ワールドカップ日本代表にも選ばれ、団体2位、個人7位の記録を打ち立てました。
関東プロゴルフ選手権 優勝
「関東プロゴルフ選手権」は、1990年(平成2年)に廃止されるまで、関東プロゴルフ協会(現在の日本プロゴルフ協会)が主催していた大会。
安田春雄さんは、本大会でも、プレーオフで優勝を決めました。
フィリピンオープン 優勝
フィリピンオープンは、アジアサーキットとして、1913年(大正2年)から開催されているアジアで最も歴史のあるゴルフ大会です。
安田春雄さんは、日本人初制覇という快挙を成し遂げました。
1970年(昭和45年)・27歳
中日クラウンズ 優勝
1970年には、「中日クラウンズ」で2度目の優勝を果たし、初代「クラウンズ男」呼ばれるほどの活躍を見せます。また、2年連続で河野高明さんと共にワールドカップ日本代表に選ばれ、団体10位、個人8位を記録しました。河野高明さん、杉本英世(すぎもとひでよ)さんらと共に「和製ビッグスリー」と呼ばれ、大人気となったのです。
大会3日目に8アンダー62のコースレコードをマークし、通算は12アンダー。この記録は、2010年(平成22年)に石川遼(いしかわりょう)さんが記録を更新するまで、なんと40年間も破られませんでした。
1971年(昭和46年)・28歳
1972年(昭和47年)・29歳
1972年は、国内では「静岡オープンゴルフ」、「ゴルフダイジェスト」、「産報クラシック」、海外では「台湾オープン」で優勝するなど国内外で活躍し、年4勝という快進撃を見せました。
静岡オープンゴルフ 優勝
この年、第1回大会は、静岡カントリークラブ島田ゴルフコースで開催されました。
初代優勝者は安田春雄さんです。
ゴルフダイジェストトーナメント 優勝
「ゴルフダイジェストトーナメント」は、ゴルフ雑誌を発行するゴルフダイジェスト社が主宰した大会。1973年(昭和48年)から1997年(平成9年)まで、日本プロゴルフ協会公認競技でした。
その公認前の1972年に開催された大会で安田春雄さんは優勝しました。
産報クラシック 優勝
第1回大会は、島田幸作さんを抑えて、安田春雄さんが優勝しました。
「産報クラシック」は、産報出版が主催した大会。1973年(昭和48年)から1978年(昭和53年)まで日本プロゴルフ協会公認競技となりました。
台湾オープン 優勝
「台湾オープン」とは、1965年(昭和40年)に設立されたアジアゴルフサーキット。2018年(平成30年)で終了し、現在は、開催国をタイに変えて「トヨタ・タイ・オープン」として開催されています。
この大会では、台湾のプロゴルファー クオ・チエシャンさんとプレーオフの末に安田春雄さんが優勝を手にしました。1969年(昭和44年)に杉本英世さんが日本人として初優勝しましたが、安田春雄さんが二人目の日本人優勝者となりました。
1974年(昭和49年)・31歳
1975年(昭和50年)・32歳
ジャパン プロアマチャリティクラシック 優勝
1975年(昭和50年)には、「ジャパン プロアマチャリティクラシック」で優勝しました。
1976年(昭和51年)・33歳
東北クラシック 優勝
1976年(昭和51年)には、「東北クラシック」で優勝。
「東北クラシック」とは、2007年(平成19年)まで開催されていた東北地方でのプロゴルフツアー大会です。
1978年(昭和53年)・35歳
東北クラシック 優勝
1976年(昭和51年)に引き続き、「東北クラシック」で2度目の優勝を果たします。
1980年(昭和55年)・37歳
この年、「東北クラシック」で、3度目の優勝を飾ります。また、安田春雄さんは、常々「どうしても取りたい」と話していた「日本タイトル」をプロ19年目にして初めて「日本プロゴルフマッチプレー」で獲得。
さらに、9年ぶりにワールドカップの日本代表に選出され、鈴木規夫(すずきのりお)さんと共に出場しました。
1984年(昭和59年)・41歳~1996年(平成8年)・53歳
安田春雄さんは、「三菱ギャラントーナメント」での4年ぶりの優勝を獲得します。
「三菱ギャラントーナメント」は、かつての「ダンロップゴルフトーナメント」のことで、現在は「アジアパシフィックオープン ゴルフチャンピオンシップ ダイヤモンドカップゴルフ」に名称が変更されています。
そして、50歳になった安田春雄さんは「シニアツアー」に参戦します。シニアツアーに参加して早速、1994年(平成6年)の「旭国際ヴィンテージクラシックトーナメント」で初優勝。幸先の良い、好スタートを切りました。翌年の1995年(平成7年)も「旭国際ヴィンテージクラシックトーナメント」で優勝し、2連覇を達成しています。
スターツシニアゴルフトーナメント 優勝
1996年(平成8年)53歳のときには、「スターツシニアゴルフトーナメント」で優勝します。
台湾出身の陳清波(ちんせいは)さん、金井清一(かないせいいち)さんなど、往年のスター選手が名前を連ねるなか、通算5アンダーで優勝を決めました。
「スターツシニアゴルフトーナメント」とは、スターツコーポレーションが主催しており、50歳以上の男性選手によって争われるトーナメントです。
2010年(平成22年)・67歳以降
スターツシニアゴルフトーナメント(スーパーシニア) 優勝
2010年(平成22年)67歳になった安田春雄さんは、65歳以上の男性選手によって争われる「スターツシニアゴルフトーナメント(スーパーシニア)」で初優勝を飾ります。
2012年(平成24年)には5位、2014年(平成26)年には4位、2019年(令和元年)にも出場を果たすなど、余命宣告まで受けていたステージ4の癌からの復活を果たし、ゴルフ人生を謳歌されています。
安田春雄さんプロフィール

1943年(昭和18年)生まれ、東京都出身。
日本にゴルフブームを巻き起こしたプロゴルファー 中村 寅吉(なかむらとらきち)さんに師事して一番弟子となり、1962年(昭和37年)、当時史上最年少の18歳でプロテストに合格。その後は国内外を問わず大活躍しました。また、ゴルフの高度なテクニックと話上手な側面を買われ、テレビ出演への依頼も多く、レギュラー番組も最多で4本持つなどメディア業界でも活躍していました。

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