高山忠洋たかやま ただひろ

高山忠洋(たかやまただひろ)さん(スターツコーポレーション所属)がゴルフを始めたのは18歳のときです。
ゴルフを始めてわずか3年でプロ入り(1999年)を果たし、2005年には「東建ホームメイトカップ」で初優勝を飾ります。そして2018年(平成30年)に目の病気で休養を余儀なくされツアーを離脱するも、2020年(令和2年)に復帰。
「生まれ変わった新生・高山忠洋を見せたい」と意気込み、どん底から復活を果たそうと邁進している高山忠洋さんの軌跡をご紹介します。
高山忠洋
さんの主な戦績
高山忠洋 /
プロゴルフツアーの軌跡
2005年(平成17年)・27歳
東建ホームメイトカップ 優勝
高山忠洋さんが国内ゴルフツアーで初優勝を果たしたのは、2005年(平成17年)27歳のプロ7年目のときでした。「東建ホームメイトカップ」で優勝トロフィーを手にします。
東建ホームメイトカップとは、東建コーポレーションの主催で行われる男子ゴルフトーナメントの開幕戦。名古屋市内からほど近い三重県桑名市にある「東建多度カントリークラブ・名古屋」で開催される大会のため、毎年多くのギャラリーが訪れています。
この大会での高山忠洋さんは、最終日の17番ホールで首位の川原希(かわはらのぞみ)さんと並びます。迎えた最終18番ホール。互いにパーセーブで、プレーオフに突入。プレーオフは3ホール目まで続き、ギャラリーの視線が釘付けとなる中、高山忠洋さんが3mのバーディーパットをねじ込み、念願の初優勝を果たしました。
「最終日のプレーオフにもこれまでになく落ち着いて臨めたし、いきなり結果が出たので自分でもびっくりでした」と、初優勝の喜びを噛みしめました。
アジア・ジャパン沖縄オープン 優勝
海が近く強い風が吹き荒れる那覇ゴルフ倶楽部での最終日、前半は後続勢がスコアを伸ばし、一時は首位に5人が並ぶ大混戦となりました。
18ホールを終えても決着はつかず、ディフェンディングチャンピオンである宮里聖志さんと高山忠洋さんによるプレーオフに突入。
プレーオフ2ホール目、宮里聖志さんがパーで終えた一方、高山忠洋さんは長いバーディーパットを正確に決めてツアー通算2勝目を飾りました。
2010年(平成22年)・32歳
サン・クロレラクラシック 優勝
北海道の小樽カントリー倶楽部で開催された「サン・クロレラクラシック」。高山忠洋さんは5年ぶりとなるツアー3勝目を挙げます。
持病の左手首痛に悩まされ、長らく優勝から遠ざかっていた高山忠洋さん。その病状は日常生活に支障をきたすほど悪化しており、この年もオフ中は一切クラブを握らず治療に当て、満足に練習もできない日々が続いていました。
前年には結婚もし、「今季は勝ちたい」という強い想いがありました。その執念で首位タイからスタートしたファイナルラウンド、同じく首位タイのD・チャンドさんが15番でスコアを落とし2ストローク差に。17番で高山忠洋さんが2メートルのバーディーパットを決めさらに3打差へ。迎えた18番をしっかりとパーでまとめ激闘を制しました。
2011年(平成23年)・33歳
東建ホームメイトカップ 優勝
高山忠洋さんは、2011年(平成23年)33歳のときにも「東建ホームメイトカップ」で優勝を果たします。
シーズンの行方を占う開幕戦であることに加え、復興支援を掲げたこともあり、最終日には、1万9,021人(大会4日間で4万1527人)ものギャラリーが集まりました。
高山忠洋さんは大会3日目、最大瞬間風速16mの強風が吹き荒れるなか、8バーディーを奪い通算7アンダーで単独首位に立ち、2位には6アンダーで石川遼(いしかわりょう)さん、3位には5アンダーで片山晋呉(かたやましんご)さんと続きます。
迎えた最終日、猛追する片山晋呉さんらのプレッシャーを感じながらも、15番ホールでは8mのロングパットを決めるなど、「負けてはいけない。一打一打を集中できた」と、6年ぶりとなる2度目の「東建ホームメイトカップ」優勝を手にしました。
高山忠洋さんは、2005年(平成17年)・2011年(平成23年)と開幕戦を制覇していることから自分のことを「開幕戦男」と呼んでおり、この大会のインタビューでも「開幕戦男が帰ってきました」と自ら名乗っているほど。そして「その名に恥じないように、これからはもっともっと練習して上手くなります」と意気込みを語りました。
カシオワールドオープン 優勝
高知県にあるKochi黒潮カントリークラブで開催された「カシオワールドオープン」の最終日。
高山忠洋さんが単独首位スタートし、それを1打差で追う宮里優作(みやざと ゆうさく)さんとの戦いになりました。
高山忠洋さんがスコアを伸ばすも1打差で詰め寄る宮里優作さん。
勝負は最終ホールまでもつれ込み両者イーグルチャンスで迎えたグリーン上で冷静にウィニングパットを決め、付け入る隙を与えずツアー通算5勝目となる優勝を手にしました。
高山忠洋さんのエピソード
高山忠洋さんは高校時代にプロ野球選手を数多く輩出していることで有名な和歌山県立青林高校の野球部に所属していました。
プロゴルファーになるきっかけとなったのが、1995年(平成7年)の「フィリップモリス チャンピオンシップ」(現・ABCチャンピオンシップ)での出来事。
田中秀道(たなかひでみち)さんが念願の初優勝を果たし涙する姿を見て、「ゴルフっていいな。あんな素晴らしいプレーを自分もしてみたい」と思い、高校3年生だった18歳のときにゴルフを始めました。
高校卒業後はプロゴルファーを目指して、法仙坊ゴルフ倶楽部の研修生となります。
そして、わずか3年後の1999年(平成11年)、プロへと転向。2005年(平成17年)「東建ホームメイトカップ」で初優勝を飾ると、同年「全英オープン」でメジャー初出場。結果、23位に入り、当時は日本人初の最高記録として話題になりました。
2008年(平成20年)に左手親指の腱鞘炎により一時ツアーから離脱するも、2010年(平成22年)には「サン・クロレラクラシック」にて復活優勝。翌2011年(平成23年)には「東建ホームメイトカップ」及び「カシオワールドオープン ゴルフトーナメント」で優勝し、賞金ランク2位となります。その後、2017年(平成29年)まで16年連続でシード権を維持してきましたが、中心性漿液性脈絡網膜症という目の病気で2018年(平成30年)の夏から休養を余儀なくされます。
2020年(令和2年)9月に特別保障制度を利用して復帰を果たしました。
高山忠洋さんプロフィール

1978年(昭和53年)生まれの和歌山県出身。
高校時代は野球少年でしたが、ゴルフの試合を見て感動し、高校卒業後に法仙坊ゴルフ倶楽部の研修生となります。
3年後の1999年(平成11年)21歳のときにプロへ転向。2005年(平成17年)、日本ゴルフツアー開幕戦「東建ホームメイトカップ」で初優勝します。同年「全英オープン」に初出場をし、23位に入賞。

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東建コーポレーションが主催するJAPANゴルフツアー開幕戦「東建ホームメイトカップ」。大会動画をYouTubeにてご覧頂けます。開催地:東建多度カントリークラブ・名古屋(三重県桑名市) -
JAPANゴルフツアー「第57回中日クラウンズ」第55回~57回大会を動画にてお届けしております。