塩谷育代しおたに いくよ

塩谷育代(しおたにいくよ)さんは、18歳、高校3年生の時からゴルフを始め、名古屋市内のゴルフ練習場に所属して松井利樹(まついとしき)プロに師事し、プロゴルファーを目指します。1982年(昭和57年)、2度目のプロテストで合格。1985年(昭和60年)から「東海大学」の田中誠一(たなかせいいち)教授の指導のもと、当時としては珍しい科学的トレーニングを取り入れ、先駆者となりました。プロ初優勝は1987年(昭和62年)に開催されたアジアンツアーの「マレーシアレディースオープン」。1989年(平成元年)になると「ヤクルトミルミルレディーストーナメント」で国内ツアー初優勝を果たします。1992年(平成4年)には初の「賞金女王」を獲得。1995年(平成7年)になると自身最多の年間5勝を挙げ、2度目の「賞金女王」に輝きました。2010年(平成22年)からはレジェンズ(シニア)ツアーに参戦。長年にわたり女子プロゴルフ界を支える塩谷育代さんの軌跡をご紹介します。
塩谷育代
さんの主な戦績
塩谷育代 /
プロゴルフツアーの軌跡
1985~1989年(昭和60年~平成元年)・23~27歳
塩谷育代さんは、プロ3年目の1985年(昭和60年)にシード権を獲得。1987年(昭和62年)にアジアンツアーの「マレーシアレディースオープン」でプロ初優勝を飾ります。1989年(平成元年)には「ヤクルトミルミルレディーストーナメント」で国内ツアー初優勝を果たしました。
ヤクルトミルミルレディーストーナメント 優勝(1989年)
初日にイーブンパー3位タイ、2日目は通算1アンダー2位タイと順位を上げた塩谷育代さん。最終日は、多くの選手がスコアメイクに苦しむ中、2位と1打差の通算1オーバーで国内ツアー初優勝を達成しました。
1990~1992年(平成2~4年)・28~30歳
国内ツアー初優勝を果たした翌1990年(平成2年)、塩谷育代さんは「東都自動車レディースプロゴルフトーナメント」と「伊藤園レディスゴルフトーナメント」で優勝しシーズン2勝を挙げます。1991年(平成3年)には「ミズノオープンレディス ゴルフトーナメント」と「富士通レディース」で勝利して2勝を挙げ、賞金ランキング3位を獲得。1992年(平成4年)は、「再春館レディース」での1勝のみでしたが、シーズン中の出場大会でコンスタントに好成績を残し、初の「賞金女王」を獲得しました。
再春館レディース 優勝(1992年)
1オーバー11位タイでスタートした2日目、塩谷育代さんは2ストローク伸ばし、通算イーブンパーで2位タイまで浮上。首位と1打差まで詰め寄り、逆転優勝を狙います。迎えた最終日、多くの選手がスコアを落とす中、1ストローク伸ばし、通算1アンダーで勝利を飾りました。
1993~1994年(平成5~6年)・31~32歳
1993年(平成5年)年は勝利から遠ざかっていた塩谷育代さん。同年12月に空間デザイナーの伊藤栄治さんと結婚します。
翌1994年(平成6年)は、国内ツアー初優勝を飾った「再春館レディース」で優勝し、大会2勝目を記録。また、「健勝苑レディス・道後」と「カトキチクイーンズカップトーナメント」でも勝利し、シーズン3勝で賞金ランキング2位と復調しました。
再春館レディース 優勝
初日に1アンダー5位タイとした塩谷育代さん。2日目はスコアをキープし、通算1アンダー4位タイと順位を上げます。最終日、多くの選手がスコアを落とす中、通算2アンダーで大会通算2勝目を挙げました。
健勝苑レディス・道後 優勝
1アンダー7位タイでスタートした2日目、3ストローク伸ばし、通算4アンダーで単独2位に躍進。最終日は上位6名が首位と1~3打差しかない混戦模様でスタートする中、3ストローク伸ばした塩谷育代さんが抜け出し、通算7アンダーで優勝。シーズン2勝目を勝ち取りました。
カトキチクイーンズカップトーナメント 優勝
塩谷育代さんは、初日を5アンダー単独首位で終えましたが、2日目に1ストローク落とし通算4アンダー単独2位に後退。しかし最終日、2ストローク伸ばし、2位と3打差をつけて通算6アンダーで逆転優勝。勝利の栄冠に輝きました。
1995年(平成7年)・33歳
1994年(平成6年)、賞金ランキングに上位復活を遂げた塩谷育代さん。翌1995年(平成7年)、4月には「三越カップレディスオープン」と「那須小川レディスプロゴルフトーナメント」で2週連続優勝を達成。また、公式戦の「日本女子オープンゴルフ選手権競技」と「JLPGA明治乳業カップ年度最優秀女子プロ決定戦」で勝利し、2つのメジャータイトルを獲得すると共に、「賞金女王」に返り咲きました。
三越カップレディスオープン 優勝
初日に4オーバー15位タイ、2日目は通算9オーバー26位タイと後退した塩谷育代さん。3日目に通算7オーバーまで戻し、6位タイとします。最終日は、上位陣で唯一、スコアを伸ばした塩谷育代さんが通算4オーバーで優勝。ツアー通算10勝目を飾りました。
那須小川レディスプロゴルフトーナメント 優勝
初日に3オーバー19位タイと振るわなかったものの、2日目には通算3オーバーをキープし、6位タイとします。迎えた最終日、塩谷育代さんは、平瀬真由美(ひらせまゆみ)さん、森口祐子(もりぐちゆうこ)さん、武田久子(たけだひさこ)さんとのプレーオフに突入。この大接戦を制した塩谷育代さんが勝利を手にしました。
中京テレビ・ブリヂストンレディスオープン 優勝
塩谷育代さんは、初日が3アンダー3位タイ、2日目が通算6アンダー単独2位と、初日から単独首位を守る植木征江(うえきゆきえ)さんに2打差まで追い上げます。最終日は植木征江さんが大きく後退し、通算4アンダーで塩谷育代さんが優勝。勝利を獲得しました。
日本女子オープンゴルフ選手権競技 優勝
初日と2日目に3位タイ、3日目が通算3アンダー単独3位と順位をキープしたまま最終日を迎えた塩谷育代さん。多くの選手がスコアを落とす中、通算3アンダーで優勝。初のメジャータイトルを獲得しました。
「日本女子オープンゴルフ選手権競技」は、日本女子プロゴルフでメジャー大会のひとつ。毎年開催する都道府県を変えて行われており、レベルの高い戦いが繰り広げられる、歴史ある大会です。
JLPGA明治乳業カップ年度最優秀女子プロ決定戦 優勝
塩谷育代さんは、シーズン最後となる「JLPGA明治乳業カップ年度最優秀女子プロ決定戦」に臨む時点で、賞金ランキング4位でした。この大会に勝って「賞金女王」の座を勝ち取りたいところでしたが、初日を6オーバー21位タイと出遅れてしまいます。すると2日目に5ストローク伸ばし、通算1オーバー単独2位に浮上。迎えた最終日、初日から首位を守ってきた平田充代(ひらたみつよ)さんに追いつき、プレーオフの末、塩谷育代さんが逆転で優勝。メジャー大会2勝を挙げると共に、3年ぶり2度目となる「賞金女王」の座に輝きました。
1996年(平成8年)・34歳
塩谷育代さんは、1996年(平成8年)に「日本女子プロゴルフ選手権大会」で優勝。前年に勝利を収めた「日本女子オープンゴルフ選手権競技」、「JLPGA明治乳業カップ年度最優秀女子プロ決定戦」と合わせてメジャー大会で3勝目を達成します。メジャー大会3勝は、史上4人目の快挙です。
また、「タカラワールドインビテーショナル」でも勝利を収め、シーズン2勝を挙げました。
日本女子プロゴルフ選手権大会 優勝
初日に2オーバー22位タイ、2日目は通算イーブンパー6位タイ、3日目が通算1アンダー4位タイと順位を上げてきた塩谷育代さん。最終日は、4ストローク伸ばし通算5アンダーで優勝。メジャー大会で3勝目を記録し、史上4人目の快挙となりました。
1997~2003年(平成9~15年)・35~41歳
1997年(平成9年)、塩谷育代さんは「We Love KOBEサントリーレディスオープンゴルフトーナメント」で勝利を収めます。
翌1998年(平成10年)は、シーズン途中で産休に入り、第1子を出産すると翌1999年(平成11年)には早くもツアーに復帰。
塩谷育代さんが母親になって初めて勝利を飾ったのは、2001年(平成13年)の「ヴァーナルレディース」でした。その後、2002年(平成14年)に「ゴルフ5レディスプロゴルフトーナメント」で、翌2003年(平成15年)に「フジサンケイレディスクラシック」で優勝し、ツアー通算20勝に到達しました。
We Love KOBEサントリーレディスオープン 優勝(1997年)
2アンダー7位タイでスタートした2日目、スコア64をマークし、通算10アンダーで単独首位に躍り出ます。塩谷育代さんは3日目もイーグルを決めるなどして2位と10打差の通算16アンダーで首位を独走。迎えた最終日、2位以下の追い上げも届かず通算16アンダーで優勝。余裕の展開で勝利を飾りました。
ヴァーナルレディース 優勝(2001年)
多くの選手が難しいコースセッティングに苦しむ中、塩谷育代さんは初日にワンオーバー5位タイ、2日目は2オーバー2位タイとします。最終日は選手全員がオーバーパーでスタートする中、首位との差は1打。イーブンパーまでスコアを伸ばし、那須ミネコ(なすみねこ)さんとのプレーオフに持ち込みます。プレーオフは2ホール目でパーパットを沈めた塩谷育代さんが4年ぶり、ツアー通算18勝目を飾りました。
フジサンケイレディスクラシック 優勝(2003年)
塩谷育代さんは初日の後半に5アンダーまで伸ばし、単独首位に立ちます。2日目も好調にラウンドし、通算8アンダーで単独首位をキープ。迎えた最終日、2位と3打差でのスタートとなりましたが、塩谷育代さんの勢いは止まらず2位に5打差をつけ通算11アンダーで勝利。初日から首位を譲ることなく完全優勝を果たし、ツアー通算20勝目を挙げました。
2004年~(平成16年~)・42歳~
2004年(平成16年)以降、塩谷育代さんはLPGAツアーでプレーする一方、2010年(平成22年)からはレジェンズツアーに並行して参戦します。
2011年(平成23年)にはLPGAツアーからは撤退し、レジェンズツアーに絞って出場。翌2012年(平成24年)には「ふくやカップマダムオープン」で優勝を果たしました。
また、2022年(令和4年)には、過去の戦績が認められ、第9回「日本プロゴルフ殿堂」のプレーヤー部門に選ばれています。
ふくやカップマダムオープン 優勝(2012年)
「ふくやカップマダムオープン」は、プロとアマが一緒にラウンドする唯一のレジェンズツアーです。塩谷育代さんは初日から3アンダーで単独首位に立ち、好スタートを切ります。2日目の最終日、スコア69をマークし、2位と4打差の通算6アンダーで優勝。レジェンズツアー初勝利を飾りました。
塩谷育代さんプロフィール

1962年(昭和37年)5月28日生まれ、愛知県名古屋市出身。中学時代は陸上競技部に所属。樋口久子(ひぐちひさこ)さんが陸上競技部出身であったことを知り、自らもプロゴルファーを目指します。1982年(昭和57年)にプロテストに3位で合格。
国内ツアー初優勝は、1989年(平成元年)の「ヤクルトミルミルレディーストーナメント」です。1992年(平成4年)には初の「賞金女王」を獲得。1995年(平成7年)には2度目の「賞金女王」の座に輝きます。産休を経て復帰した1999年(平成11年)からも活躍を続け、2003年(平成15年)「フジサンケイレディスクラシック」では初日から首位を譲らない完全優勝を達成。通算20勝を記録しました。2010年(平成22年)からはシニアツアーに参戦すると共に、テレビ解説や若手育成にも尽力。2022年(令和4年)には女子プレーヤー部門で「日本プロゴルフ殿堂」入りを果たしました。
