大迫たつ子さんのご紹介
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大迫たつ子おおさこ たつこ

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大迫たつ子(おおさこたつこ)さんは、勝負師として抜群の存在感を誇り、3度の「賞金女王」に輝いた日本を代表するプロゴルファーです。小柄ながらも飛距離と数多くのテクニックを持ち、安定したプレーで積み上げた優勝数は45勝。女子プロゴルフ界を盛り上げた功績を称え、「日本プロゴルフ殿堂」入りを果たしました。女子プロゴルフを語る上で欠かせない偉大な存在、大迫たつ子さんの軌跡をご紹介します。

大迫たつ子
さんの主な戦績


大迫たつ子 /
プロゴルフツアーの軌跡


1975年(昭和50年)・23歳

日本女子プロ東西対抗トーナメント 優勝

2大メジャー大会で連勝1975年(昭和50年)、23歳のときに「日本女子プロ東西対抗トーナメント」にて念願の初優勝を果たしました。当時、圧倒的な強さを誇り、賞金女王の名を独占していた樋口久子(ひぐちひさこ)さんを下しての劇的勝利。大迫たつ子さんはのちに「この試合は今でも印象に残っていて、忘れることができない試合」と語っています。同年、「松島国際女子オープン」でも1勝を挙げました。

1977年(昭和52年)・25歳

オールスタートーナメント 優勝

1975年(昭和50年)以降、優勝から遠ざかっていた大迫たつ子さんでしたが、1977年(昭和52年)の「オールスタートーナメント」で勝利。通算3勝目を挙げました。
「オールスタートーナメント」では、岡本綾子(おかもとあやこ)さんとプレーオフにもつれ込み、ギリギリの戦いを展開。約2年のブランクを乗り越えての優勝でした。大迫たつ子さんは、プレーオフ後にホールアウトしてからのことについて、勝てないと思いこんでいたため、スコアを書こうとした際、優勝と言う結果に震えて書けなかったことをエピソードとして話しています。

貪欲な練習が実を結び、賞金女王を獲得

大迫たつ子さんは、「オールスタートーナメント」での優勝をターニングポイントに、試合と試合のわずかな時間も惜しんで貪欲に練習。その甲斐があり、コンスタントに勝てる安定感を身に付けました。それが、1985年(昭和60年)まで続く278試合連続予選通過と言う大記録に繋がったのです。

また、「オールスタートーナメント」を皮切りに、翌9月に開催された「トヨトミレディース」、10月開催の「美津野ゴルフトーナメント」、11月開催の「西海国立公園女子オープン」で勝利を積み重ねて4勝を挙げ、自身初の賞金女王を獲得します。当時、樋口久子さんは連続で賞金女王に輝き、「打倒・樋口」が女子プロ選手の合言葉になるほど無類の強さを誇っていました。その樋口久子さんの賞金女王10連覇阻止は女子プロゴルフ界において意義が大きく、歴史的な快挙となったのです。

1980年(昭和55年)・28歳

日本女子プロゴルフ選手権大会 優勝

日本女子プロゴルフ選手権大会 優勝「日本女子プロゴルフ選手権大会」は、日本女子プロゴルフ協会主催・コニカの特別協賛による日本の女子プロゴルフメジャー大会のひとつ。1968年(昭和43年)から続く、女子ツアーのなかで最も伝統あるゴルフトーナメントです。

大迫たつ子さんが本大会に初出場したのは1972年(昭和47年)。その後、1975年(昭和50年)は、トップの山崎小夜子(やまざきさよこ)さんに1打差の2位に終わりました。1976年(昭和51年)と1977年(昭和52年)は2年続けて3位。1978年(昭和53年)は単独首位で最終日を迎えるも森口祐子(もりぐちゆうこ)さんに逆転されました。さらに1979年(昭和54年)は、岡本綾子さんと首位タイで最終日へ。壮絶な首位争いを見せるも岡本綾子さんに軍配が上がりました。

このように1975年(昭和50年)からの5年間は、毎年、優勝争いを繰り広げるも、あと一歩のところで優勝を逃しましたが、遂に1980年(昭和55年)、日本一と名高いこの選手権タイトルを手にします。大迫たつ子さんは、「こんなに嬉しい優勝はありません。やっと取れました。これで大先輩樋口さんの足元まで辿り着きました」と喜びのコメントを残しています。

2度目の賞金女王獲得

1980年(昭和55年)は「日本女子プロゴルフ選手権大会」の他、「マツダジャパンクラシック」、「東北クイーンズ」と3勝。樋口久子さんの賞金女王3連覇を阻止し、2度目の賞金女王を獲得しました。

1983年(昭和58年)・31歳

日本女子プロゴルフ選手権大会 優勝

1983年(昭和58年)、大迫たつ子さんは、「日本女子プロゴルフ選手権大会」において2度目のメジャータイトルを獲得。涂阿玉(とあぎょく)さん、森口祐子さんとの実力者三名による、三つ巴の優勝争いとなりました。最終ホールでは決着がつかないまま、涂阿玉さんと大迫たつ子さんのプレーオフに持ち越し。決着がついたのは16番パー3。1打目をピン左5mの位置に付けた大迫たつ子さんが難しいラインのバーディーパットを決め、接戦を制しました。

大迫たつ子さんはこの年、「キヤノンクイーンズカッププロゴルフトーナメント」、「フジサンケイレディスクラシック」、「徳島月の宮レディスクラシックオープン」でも優勝。シーズン4勝を挙げています。
なお、「徳島月の宮レディスクラシックオープン」ではホールインワンを達成しました。

1987年(昭和62年)・35歳・賞金女王

軽井沢72・東急女子オープンゴルフトーナメント 優勝

軽井沢72・東急女子オープンゴルフトーナメント「軽井沢72・東急女子オープンゴルフトーナメント」は、東急グループ主催で行われた日本女子プロゴルフ協会公認の女子プロゴルフトーナメントのひとつです(現在のNEC軽井沢72ゴルフトーナメント)。

大迫たつ子さんは、1987年(昭和62年)にこのトーナメントで優勝。この年、「東都自動車レディースプロゴルフトーナメント」、「広島UCCレディースゴルフトーナメント」、「東鳩レディスゴルフトーナメント」に勝ち4勝を挙げ、通算40勝を達成しました。
また、涂阿玉さんの賞金女王6連覇を阻止。3度目の賞金女王に輝いています。

1991年(平成3年)・39歳

日本女子プロゴルフ選手権 優勝

1989年(昭和64年・平成元年)に左股関節を亜脱臼。大迫たつ子さんは休養を余儀なくされます。辛いリハビリの末、1990年(平成2年)にツアー復帰するも、再び左股関節を痛めて戦列を離脱。そして1991年(平成3年)に参戦した「日本女子プロゴルフ選手権」は、4ヵ月ぶりに臨む復帰戦でした。左足をかばいながら歩き、万全とは言えない状態ながらも、4度目となる選手権タイトルを獲得。「こんなに嬉しい優勝はありません。勝って泣いたのは初めてです」と、涙しました。その後のインタビューでも「1番印象に残っている優勝は、91年の日本女子プロです。股関節を痛めて1年間休養して、もう最後の選手権と思って出たんです」や、「岡本(綾子)さんとの優勝争いでしたし、自分ひとりの優勝じゃなかった」と感慨深く語っています。

大迫たつ子さんプロフィール

1952年(昭和27年)生まれ。中学校卒業後キャディとして「宝塚ゴルフ倶楽部」に入社した大迫たつ子さんは、定時制の高校に通いながら仕事をし、プロを目指しました。
1971年(昭和46年)、19歳のときにプロテストに合格。翌年の1972年(昭和47年)には賞金ランキングで20位に入り、1988年(昭和63年)まで常に賞金ランキングの上位争いに加わりました。飛距離とテクニックもさることながら、膨大な練習量に裏付けられたプレーの安定性を強みに、日本女子ツアー歴代4位となる通算45勝を挙げ、278試合連続予選通過と言う大記録を達成。ツアー30勝以上を達成した者に与えられる「日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)」の永久シード権を獲得しています。
けがを理由に、1994年(平成6年)に42歳で現役引退。2015年(平成27年)、「日本プロゴルフ殿堂」入りを果たしました。引退後は、日本女子プロゴルフ協会理事に就任。メディアでは解説者としての活動も行っています。

歴代のプロゴルファー 賞金王・賞金女王
日本国内の男子ゴルフツアー(JGTO)、女子ゴルフツアー(JLPGA)の歴代賞金王・賞金女王を一覧でご確認頂けます。
中京テレビ・ブリジストン レディスオープン
2014年に開催された「第32回中京テレビ・ブリヂストン レディス オープン」の予選から決勝までの試合の様子を動画でご覧頂けます。
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