村口史子さんのご紹介
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村口史子
村口史子むらぐち ふみこ

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村口史子(むらぐちふみこ)さんは高校卒業後、東京都内でOLとして就職しますが、性に合わないと退職。1985年(昭和60年)、プロゴルファーを目指して「千葉カントリークラブ」へ研修生として入社します。最初は練習場で空振りするほどのレベルでしたが、郡司洋(ぐんじひろし)プロのもとで4年間修業を積み、1990年(平成2年)に受けたプロテストに合格。翌1991年(平成3年)には「サントリーレディスオープンゴルフトーナメント」でプロ初優勝を飾ります。
1999年(平成11年)には、「ヤクルトレディースゴルフトーナメント」で優勝すると、翌週の「中京テレビ・ブリヂストンレディスオープン」で勝利し、2週連続優勝を達成。また同年の「新キャタピラー三菱レディース」で優勝を果たすと年間3勝を挙げて「賞金女王」を獲得します。「OL」からプロゴルファーに転身した異色の経歴を持つ彼女は、アイドル的存在として、ゴルフ界で人気を集めました。
2004年(平成16年)に引退を表明し、多くのファンに惜しまれながらも第一線を退きます。引退後は、トーナメントのテレビ解説やリポーターの他、レッスン番組出演やコラム執筆、講演活動などで活躍する、村口史子さんの軌跡をご紹介します。

村口史子
さんの主な戦績


村口史子 /
プロゴルフツアーの軌跡


1991年(平成3年)・25歳

1991年(平成3年)・25歳村口史子さんは、1990年(平成2年)に受けたプロテストに合格。翌年の1991年(平成3年)、「サントリーレディスオープンゴルフトーナメント」で、プロ初優勝を果たします。
また同年、「anクイーンズ」でも優勝し、シーズン2勝を挙げました。

サントリー レディスオープンゴルフトーナメント 優勝

村口史子さんは、初日に2オーバー19位タイと出遅れますが、2日目は通算イーブンパー11位タイと順位を上げます。続く3日目はバーディーを積み重ね、通算5アンダーで首位タイに急浮上。迎えた最終日、多くの選手がスコアを落とす中、村口史子さんは1ストローク伸ばし、通算6アンダーで優勝。プロ初勝利を挙げました。

anクイーンズ 優勝

初日を1アンダー9位タイとした村口史子さん。2日目は堅実なプレーで通算1アンダーとし、5位タイに順位を上げます。最終日は塩谷育代(しおたにいくよ)さん、柴田規久子(しばたきくこ)さんの3人の争いになり、後半に村口史子さんが抜け出して優勝。シーズン2勝目を勝ち取りました。

1992~1997年(平成4~9年)・26~31歳

村口史子さんは、1992年(平成4年)以降もゴルフの実力を積み上げていくと、1995年(平成7年)の「雪印レディース東海クラシック」で4年ぶりに優勝。ツアー通算3勝目を挙げます。
また、1997年(平成9年)には「リゾートトラスト レディス」で優勝を飾りました。

雪印レディース東海クラシック 優勝(1995年)

初日を1アンダー8位タイとした村口史子さん。2日目はスコアメイクに苦しみ、通算1アンダーで9位タイに後退します。
そして最終日、バーディーを量産して単独首位に立つと、福嶋晃子(ふくしまあきこ)さんからの追撃をかわし、通算6アンダーで優勝。4年ぶりの勝利に喜びをかみしめました。

リゾートトラスト レディス 優勝(1997年)

村口史子さんは、初日に1番ホールから3連続バーディーを決めるなどし、6アンダー単独首位に立ちます。2日目は1番ホールでボギーをたたくも中盤でバーディーを積み重ね、通算9アンダーで単独首位をキープ。迎えた最終日は安定したラウンドを見せ、通算12アンダーで勝利。初日から誰にも首位を譲らない完全優勝を達成しました。

1998~1999年(平成10~11年)・32~33歳

1998年(平成10年)も女子ツアーに参戦して活躍を見せる村口史子さん。1999年(平成11年)に「ヤクルト レディースゴルフトーナメント」で優勝すると翌週の「中京テレビ・ブリヂストン レディスオープン」で勝利し、2週連続優勝を達成します。さらに「新キャタピラー三菱レディース」でも優勝し、シーズン3勝を挙げます。
プロ10年目を迎えた村口史子さんは、この年に「賞金女王」の座に輝き、メモリアルイヤーとなりました。

ヤクルト レディースゴルフトーナメント 優勝(1999年)

村口史子さんは、初日に4アンダー2位タイとして好位置をキープ。2日目は通算7アンダーまでスコアを伸ばし、首位タイに立ちます。最終日は、3打差に17人がひしめき合う混戦の中でスタートとなりましたが、村口史子さんは、前半からバーディーを量産すると一人抜け出します。
後半もバーディーを奪うとそのまま逃げ切り、通算11アンダーで優勝。2年ぶりのツアー勝利を果たしました。

中京テレビ・ブリヂストン レディスオープン 優勝(1999年)

2アンダー単独4位でスタートした2日目、通算4アンダーまでスコアを伸ばすと首位タイに浮上し、韓煕圓(ハン・ヒーウォン)さんに並びます。迎えた最終日、後半になって韓煕圓さんが失速。村口史子さんは、バーディーを積み重ね、通算9アンダーで優勝。最終日はJLPGAの最少パット数となる19パットを記録しました。

新キャタピラー三菱レディース 優勝(1999年)

初日を1オーバー29位タイ、2日目を通算イーブンパー6位タイと順位を上げ、首位を狙う村口史子さん。最終日は上位陣がスコアを崩す中、通算3アンダーまでスコアを伸ばして優勝。シーズン3勝、ツアー通算7勝目を達成。この年は賞金女王を獲得しました。

2000年~(平成12年~)・34歳~

2000年(平成12年)以降は優勝から遠ざかりましたが、2003年(平成15年)に参戦した女子ツアーでは、トップ10に4回入るなどの活躍を見せます。しかし、翌2004年(平成16年)の女子ツアー最終戦が終了した時点で引退を表明。引退後は、ゴルファーの経験を活かしたテレビ番組やTVCMに出演するなど活動の幅を広げます。
2012年(平成24年)には、空手家の門井敦嗣(かどいあつし)さんと結婚。結婚後は、女子プロトーナメントの解説やラウンドレポーターの他、講演活動やチャリティコンペに出場するなど、幅広く活動されています。

村口史子さんプロフィール

村口史子

1966年(昭和41年)東京都生まれ。高校卒業後、東京都内でOLとして就職するも性に合わず退職。1985年(昭和60年)、18歳のときにプロゴルファーを目指し、研修生として千葉カントリークラブに入社。
1990年(平成2年)からプロゴルファーとして活躍すると、翌1991年(平成3年)に「サントリー レディスオープンゴルフトーナメント」で初優勝を飾りました。
1999年(平成11年)に年間3勝を挙げ、賞金女王を獲得。
2004年(平成16年)に引退して以降も多方面で活躍しています。

掲載日:2023年11月2日
歴代のプロゴルファー 賞金王・賞金女王
日本国内の男子ゴルフツアー(JGTO)、女子ゴルフツアー(JLPGA)の歴代賞金王・賞金女王を一覧でご確認頂けます。
中京テレビ・ブリジストン レディスオープン
2014年に開催された「第32回中京テレビ・ブリヂストン レディス オープン」の予選から決勝までの試合の様子を動画でご覧頂けます。
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