久保谷健一くぼや けんいち

久保谷健一(くぼやけんいち)さんは神奈川県出身。10歳の時にゴルフ場を経営する父親から大人用のクラブを短く切って与えられたことがきかっけで、ゴルフを始めました。
高校卒業後は明治大学に進学し、1995年(平成7年)、プロテストに合格。1997年(平成9年)、「フジサンケイクラシック」で尾崎将司(おざきまさし)さんと金子柱憲(かねこよしのり)さんとの激闘を制して初優勝を挙げます。
2002年(平成14年)、「日本プロゴルフ選手権大会」で優勝し、初めてのメジャータイトルを獲得。賞金ランキングは7位に入りました。
2003年(平成15年)は米国ツアーに挑戦。2004年(平成16年)に日本ツアーに復帰し、その後は苦しい戦いが続きましたが復調。2011年(平成23年)に「キヤノンオープンゴルフトーナメント」で9年ぶりに優勝を果たしました。2012年(平成24年)に「日本オープンゴルフ選手権競技」で優勝し、10年ぶりにメジャータイトルを獲得。
2022年(令和4年)からはシニアツアーにも参加し、活躍を見せています。趣味は子育てと公言しており、子煩悩として有名な久保谷健一さんの軌跡をご紹介します
久保谷健一
さんの主な戦績
久保谷健一 /
プロゴルフツアーの軌跡
1997年(平成9年)・25歳
久保谷健一さんは、プロ入りから2年後の1997年(平成9年)、「フジサンケイクラシック」でプロ初優勝を遂げます。また同年、「大京オープンゴルフトーナメント」で優勝し、ツアー通算2勝目を挙げました。
フジサンケイクラシック 優勝
初日を3アンダー単独首位とした久保谷健一さんは、2日目も順調にスコアを伸ばし、通算5アンダーで単独首位をキープ。続く3日目は、スコアを落としたものの通算3アンダーで単独首位を維持。しかし、背後には尾崎将司さんがぴたりとつけている状況でした。迎えた最終日、尾崎将司さんとの攻防を繰り広げる中、さらに金子柱憲さんが猛追。最終的には久保谷健一さんが両者を振り切り、プロ初優勝。一躍脚光を浴びました。
大京オープンゴルフトーナメント 優勝
5アンダー4位タイと好調な滑り出しを見せた初日、2日目も順調にバーディーを積み重ね、通算12アンダーで単独2位に順位を上げます。3日目は、ボギーをたたくなどしましたが通算15アンダーまでスコアを伸ばし、首位タイに浮上。そして最終日、8位タイから怒涛のバーディーラッシュで猛追してきた桑原克典(くわばらかつのり)さんを振り切り、通算21アンダーで優勝。シーズン2勝目を勝ち取りました。
1998~2002年(平成10~14年)・27~30歳
1998年(平成10年)以降、久保谷健一さんは勝ち星に恵まれませんでしたが、2002年(平成14年)の「日本プロゴルフ選手権大会」で優勝し、メジャー大会初優勝を飾ります。また翌週に開催された「マンシングウェアオープンKSBカップ」でも勝利し、2週連続優勝を果たしました。
日本プロゴルフ選手権大会 優勝(2002年)
久保谷健一さんは、初日を2オーバー47位タイ、2日目は通算イーブンパー11位タイ、続く3日目が通算4アンダー4位タイと徐々に順位を上げます。すると最終日、前半にバーディーを積み重ねると単独首位に浮上。その後はスコアを崩すことなくプレーし、17番ホールでバーディーを奪うと片山晋呉(かたやましんご)さんとのプレーオフに突入。プレーオフ2ホール目、片山晋呉さんは第3打をピンから約2.5mの位置につけるとバンカーに入れていた久保谷健一さんの第3打は、絶妙なショットでピンそば30cmの位置に寄せます。第4打は片山晋呉さんが外すと久保谷健一さんが決めて決着。ツアー通算3勝目を挙げました。
マンシングウェアオープンKSBカップ 優勝(2002年)
5アンダー7位タイでスタートした2日目、久保谷健一さんは1ストローク伸ばし、通算6アンダー7位タイを維持。3日目は強風の影響から多くの選手が伸び悩む中、堅実にラウンドし、通算9アンダーで単独2位に浮上します。迎えた最終日、前半にトリプルボギーをたたくなどしましたが、中盤からスコアを戻し、最終18番ホールではイーグルを決めてT.ハミルトン(トッド・ハミルトン)さん、福沢義光(ふくざわよしみつ)さん3人でのプレーオフに持ち込みます。プレーオフは2ホール目でバーディーを奪えなかった福沢義光さんが脱落。T.ハミルトンさんとの決着は4ホール目、4打で沈めた久保谷健一さんに軍配が上がり、2週連続でプレーオフを制しました。
2003~2011年(平成15~23年)・30~39歳
2003年(平成15年)、アメリカツアーに挑戦しましたが、翌2004年(平成16年)の出場権が得られなかったため、2004年(平成16年)から日本ツアーに復帰。帰国後は苦しい戦いが続きましたが、2011年(平成23年)に「キャノンオープンゴルフトーナメント」で9年ぶりに栄冠を勝ち取りました。
キヤノンオープンゴルフトーナメント 優勝(2011年)
久保谷健一さんは、初日を4アンダー7位タイとすると、2日目はバーディーを積み重ね、通算9アンダー3位タイまで順位を上げます。続く3日目は通算11アンダー首位タイとし、小山内譲(おさないゆずる)さんや石川遼(いしかわりょう)さんら4人が並ぶ大混戦となりました。そして最終日、上位陣が優勝争いから脱落していく中、久保谷健一さんは3番ホールでイーグルを決めるなどしてスコアを伸ばし、通算14アンダーで勝利。久しぶりの美酒を味わいました。
2012年(平成24年)・40歳
2012年(平成24年)、久保谷健一さんは「日本オープンゴルフ選手権競技」で優勝し、メジャー大会で2勝目を挙げました。
日本オープンゴルフ選手権競技 優勝
沖縄特有の強風がコースを吹き抜ける「日本オープンゴルフ選手権競技」では、多くの選手がスコアメイクに苦しみ、久保谷健一さんも初日に3オーバー9位タイ、2日目が5オーバー3位タイとします。3日目も強風は収まらないばかりか時折、雨も混じるような悪天候の中、9オーバー単独6位に後退。そして最終日、初日からの強風は最終日も変わらないコンディションの中、久保谷健一さんはイーグルを決めるなどし、通算8アンダーと健闘。逆転勝利を飾りました。
2013~2017年(平成25~29年)・41~45歳
久保谷健一さんは2013年(平成25年)もツアーに参戦します。翌2014年(平成26年)に椎間板ヘルニアの手術をしたあとは苦しい戦いが続き、3年間のシード権を失ってしまいました。しかし、2017年(平成29年)の「パナソニック オープンゴルフチャンピオンシップ」で復活優勝を遂げます。
パナソニック オープンゴルフチャンピオンシップ 優勝(2017年)
初日を2アンダー16位タイとした久保谷健一さん。2日目はスコアが伸ばせず通算2アンダーで23位タイに後退。続く3日目は2ストローク伸ばし通算4アンダー21位タイと少し戻します。最終日、久保谷健一さんはバーディーを量産すると首位タイに躍進し、宮本勝昌(みやもとかつまさ)さんとのプレーオフに突入。プレーオフでは、1ホール目のティーショットでOBをたたいた宮本勝昌さんが立て直すことができず久保谷健一さんが優勝。ツアー通算7勝目を挙げました。
2018年~(平成30年~)・46歳~
久保谷健一さんは、2018年(平成30年)頃から持病の腰痛が悪化し、男子ゴルフトーナメントのシード権を失ってしまいます。その後、シード権奪回を目指してレギュラーツアーへの参加を継続。2022年(令和4年)からはシニアデビューを果たしました。今後は、レギュラーとシニアツアーでの活躍が期待されています。
久保谷健一さんプロフィール

1972年(昭和47年)3月11日生まれ、神奈川県出身。ゴルフ練習場を経営する父親から、大人用のクラブを短く切って与えられ、10歳の時にゴルフを始めました。高校卒業後は明治大学に進学し、1995年(平成7年)に2回目の挑戦でプロテストに合格。1997年(平成9年)に、「フジサンケイクラシック」で尾崎将司さんと金子柱憲さんとの競り合いを制して初優勝を挙げ、一躍脚光を浴びました。同年、プロスポーツ大賞で「新人賞」も獲得しています。
2002年(平成14年)、「日本プロゴルフ選手権大会」で優勝し、初タイトルを獲得。翌週に行われた「マンシングウェアオープンKSBカップ」でも勝利し、2週連続優勝を果たします。2003年(平成15年)には米国PGAツアーに挑戦するも2004年(平成16年)には日本ツアーに復帰。その後、苦しい戦いが続きましたが調子を取り戻し、2011年(平成23年)の「キヤノンオープンゴルフトーナメント」で9年ぶりに優勝を挙げました。2012年(平成24年)に「日本オープンゴルフ選手権競技」で優勝し、10年ぶりに2回目となるメジャータイトルを獲得。2022年(令和4年)からはシニアツアーでも活躍しています。

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