
ゴルフは、勝てば良いというものではありません。自分を律し、周りを気づかいながらプレーを楽しむ競技です。審判がいないため自分自身を監督し、勝負に熱くなっても競技者への敬意を忘れない。昔から、ゴルフが「紳士のスポーツ」と言われる由縁です。
周りの人を元気にしてくれるプレーが「好プレー」。誠実な気持ちでゴルフをすれば、たとえイーグルやアルバトロスで豪快にカップインしなくても、それは「好プレー」と言えるでしょう。
「球聖」ボビー・ジョーンズが
残したスポーツマンシップの
名エピソード

アマチュア選手でありながら1年間でメジャー4大会を制覇。今なお達成者がいない年間グランドスラムを成し遂げ、その7週間後、28歳で引退した伝説的選手ボビー・ジョーンズ。
「球聖」として名高いゴルファーですが、多くの人から尊敬されている理由は、スーパープレーで偉業を残したからだけではありません。
それは、1925年の全米オープン、ウォーセスターカントリークラブで行なわれた第29回大会の初日のできごとでした。パー4の11番ホールで、ジョーンズはティーショットでラフに落とし、そこからグリーンオン、2パットでホールアウトします。
ギャラリーや競技者をはじめ、周りの誰もがスコア4と思っていたところ、ジョーンズ自身の口から実に意外な言葉が発せられました。
観客や競技者、皆が驚いたジョーンズの自己申告

11番ホールのラウンド後、ジョーンズは、「アドレスのときにボールが動いた。スコアは5だ」と1打罰を自己申告し、周囲を驚かせます。
一緒に回っていたプレーヤーのウォルター・ヘーゲンが「誰も見ていないので、ペナルティーは必要ない」とアドバイスしたほど目立たない、ミスとも言えないミスだったにもかかわらず、頑として聞き入れなかったそうです。
結果、ジョーンズはウィリー・マクファーレンとのプレーオフを迎えることとなり、1度目の18ホールでは決着がつかなかったため、2度目のプレーオフに勝負は持ち越され、最終18番ホールでボギー対パーのわずか1打差で敗れたのでした。
勝負に敗れはしたものの、後世に語り継がれることに

1打差で全米オープンの優勝を逃したジョーンズでしたが、1打罰の自己申告は、ゴルファーが見習うべき誠実な姿勢として、人々に称えられました。
この賞賛に対し、「銀行でお金を盗まなかったからといって、誰も褒めない。ゴルファーとして当然の行為だ」と、本人はあくまでもクール。その謙虚さも合わせて、後世に語り継がれることになります。
ただ、そんなジョーンズも、最初から模範的なゴルファーだった訳ではありません。
挫折を乗り越えたからこそ好プレーも生まれた

少年時代から天才的なプレーで活躍したジョーンズ。
19歳のとき、1921年の全英オープンに出場したものの、第3ラウンド前半の9ホールで10オーバーのスコア46、10番ホールもダブルボギー、11番ホールではダブルボギーパットを外したジョーンズは、6打目のパットを打たずにスコアカードを破り捨てて棄権しました。
そのときのショックをアメリカ帰国後も引きずり、ある試合ではミスショットに苛立って投げたクラブがギャラリーに当たり、出場停止処分を受けます。
絶望に陥ったジョーンズでしたが、そんな彼を支えてくれたのが、妻やゴルフに反対だった祖父。これ以降、ジョーンズは人が変わったように謙虚なゴルファーになったと言われています。その後、スポーツマンシップとして語り継がれている自己申告を行なったのです。
ティーショットやアプローチ、パットがプレーなら、自己申告もプレーのひとつ。そして、絶望を乗り越えた末に身に付けた誠意から行なわれた自己申告は、好プレーと言えるのではないでしょうか。